金色の翼の鳥神さま
学生のあやっちは、この時期、あれですよあれ。忙しんです。
なので、今回はあっさりさせていただきますね!!
今日は、ガルーダです。
仏教に伝わり、迦楼羅(かるら・たぶん音写)とか金翅鳥(こんじちょう・たぶん漢訳)といいます。光る輝き熱を発する鳥神らしく、この姿から金の翅(昆虫のはね?)の鳥なんでしょう。金の炎を吐き、赤い翼という表記もありました。とにかく、光輝いてはいそうです。
ガルーダは、タイやインドネシアなどの国章にもなっているようです。タイのほうは赤いガルーダで、先ほどの赤い翼というのには合致しますね。他方、インドネシアのほうは金色の鷲のようなガルーダです。そういえば、赤も金も同じ尊い色のような気がしますが・・・。ちなみに、あやっちとしては、インドネシアのほうが好みです(鳥の顔が可愛いかの問題)。
ところで、 そのインドネシアの航空会社で「ガルーダ・インドネシア航空」という会社があるのですが、この会社の飛行機に乗るということは、鳥の神様に乗っているわけですから、何か素敵ですよね!
ちなみに、ガルーダはインド神話で神々における王であるインドラ神(雷神)よりも強いそうです。インドラ神(雷)と空で遭遇しても大丈夫ですね!
さて、
ガルーダは、ヘビ・龍(ナーガ*1)と仲が悪く、これを食べるそうです。そのいきさつはまた。
ふつう竜と対決すると言えば、虎かライオンですよね!?
諺に「竜虎相搏・つ」*2というのもありますし、ニーチェの『ツァラツストラ』で、「汝なすべし」の竜と「我欲する」の獅子が戦ってますし…。
ところが、インドでは、龍の天敵は鳥?なんです!!
この鳥、グリフォンとの関連もありそうですが、それはまた調べるとして、ナーガの話に戻ります。このナーガ、上半身は人間、下半身はヘビの姿で描かれることもあるとされます。でも、たいていはヘビの姿らしく、7つの頭で描かれたりするそうです。
ヘビですから、もちろん毒を持ってます。毒と、インド文化(ヒンドゥー教)の世界観からくる7つの地下階層に住んでいて、そのさらに下に強力な王である“ヴァースキ”(シェーシャ)が住んでいるという話は、ギリシア神話の冥府とかその下の“奈落”を思い起こしてしまいます。冥府の門番であるケルベロスは毒を唾をもってるとされますし、最下層の“奈落”には、ケルベロスの父であるテューポーン(ヘビのような姿)が閉じ込められています。どこの世界観も同じようなもので、ヘビはそういう扱いなんでしょうか(もっとも、空飛ぶ飛ぶ龍というものが存在しますが…)。
考えてみると、ヘビは地を這うイメージがあります。もっとも、木の上にもいますから、這うイメージが強いだけかもしれませんし、卵のあるところは地中でしょうから、そのイメージかもしれません。
毒も、事実有する種が多いでしょうから、それを恐れる人のイメージもわかります。恐いものは、敬い尊ぶか、単に恐れるか、その両方かでしょう。その際、やっつけてくれる存在があれば、尊ぶより単に恐れ、嫌悪し、悪いものとのレッテルを張り、対抗するものに善のしるしを与えて敬うことでしょう。
ガルーダは、ナーガを食べますから、聖なる鳥となるようですね。
淫蕩と繁栄のお姫様
セイレーン
淫蕩と繁栄の象徴です。その共通点は、生命力でしょうか?
セイレーンは、言わずと知れた人魚のことです。上半身が美女、下半身が魚です。
もっとも、男性の人魚もいるらしいので、美女というのは、多数の思い込みでしょう。たとえば、海神ポセイドーンとアムピトリーテーの子トリトーンは、人の上半身と魚の下半身で描かれるそうです。
ところで、言葉の上で似たようなものに半魚人があります。半分人間で半分魚ですから、セイレーンの外観に合うはずです。しかし、半魚人というと、頭が魚で足があり、人間みたいに歩くものを思い起こしますので、半分人間、半分魚と言っても、上半身が人間のものが人魚なのでしょう。
これは熟語における文字の順番、すなわち文字の頭のほうから魚→人、反対に人→魚となっていることからも正しい理解に思えます。
もっとも、人のような魚と魚のような人とでは、人は後者になってしまいますよね。人魚は『魚』ということに…。
さて、セイレーンは、人魚の図像のほか鳥のような図像のものもあります。女性の上半身に翼と鳥の足です。『ユリシーズとセイレーンたち』(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス*1,1891,ヴィクトリア国立博物館蔵)でも、有翼のセイレーンが描かれています。
セイレーンが人魚になった原因の一つとして、ラテン語やギリシア語の「羽」と「鱗(鰭)」が同一または類似であったためと指摘されています。
イメージ的にも「水」に関係するそうですが、言葉の混じりも影響が強いのでしょう。言葉の意味(概念)の印象から、近いイメージのものに定着していくとも。魚のほうが、鳥より妖艶な気がしますし…。
ところで、「鳥だと、ハルピュイア(ハーピー)との類似が気になります。アテネ国立考古学博物館のセイレーンの古代(鳥)版の写真は、ハルピュイアそのものですよね?
もちろん、残忍なだけのハルピュイアと妖艶で誘惑をするセイレーンとでは、両者の性格は同じとは言いにくいのですが、どちらも人を滅ぼすことには変わりないようです。
もっとも、ハルピュイアによいイメージがあるとも思えませんが、セイレーンには「繁栄」「知識」といった肯定的イメージも存在します。紋章などに書かれて図像でもセイレーンがあります。セイレーンは「スタバ」の紋章ですし、ワルシャワ市の紋でもあるそうです*2
セイレーンにまつわる淫蕩のイメージにしても、長い髪や髪飾りがそれらしく、そういえば、セイレーンの髪はみな長いようです。長い髪をそのままに水に入ってジャブジャブ、しかも塩水に。赤茶の髪のセーレーンの絵画がありますが、欧米文化の赤毛のイメージはさておき、髪の傷みって思えちゃいます。
長い髪が娼婦のイメージ、淫乱のイメージと結びついているそうです。このイメージは、もちろん男性のものでしょう。
古来よりの職業とされる娼婦。その娼婦に伴うイメージが妖艶な美しさと、美しい歌声、惑わすもの、そして、生臭さなのかもしれません。
その娼婦のイメージとセイレーンのイメージの重なり合いは、長い髪と水、生命と繁栄に見られるのかもしれませんね。
※人魚については、さらに投稿の予定。
ちからの象徴の生き物たち
紋章にしばしば登場するライオン。これは、力、権威の象徴です。
このライオンの紋章は、生息地の関係からヨーロッパでは豹と混同されて描かれることもあったそうです。ライオンは、大昔にはヨーロッパにも生息していたらしいのですが、西暦100年ころには絶滅してしまい、今はアフリカのサハラ以南あたりに生息してます。
ある本*1を見ると、ライオンも初期ゴシック時代のものでタテガミが描かれてないものがありました。豹との識別方法として、顔がこちらを向いているかどうか(向いているのが豹)で見分けるというものをネット発見しましたが、リチャード1世のライオンの紋章は顔がこちらを向いています。結局どう見分けているのでしょうか?
ちなみに、混同ついでに生物学的にライオンと豹をみると、豹のお父さんとライオンのお母さんから生まれた子がレオポンです(ライオンは豹属。豹属は異種間でハーフができます。)。
そのライオンの象徴の話に戻ると、ライオンはサンマルコの象徴で、ゆえにヴェネチア共和国の紋章です(サンマルコがヴェネチアの守護聖人だから)。本を持った翼のあるライオンです。ちなみに、あやっちは、ヴェネチアのこのライオンが好きです!!
そういえば、ローマ時代に、闘技場でキリスト教徒をライオンに襲わせるという絵がありました。こちらは残酷なもので、権力の怖さあでもあります。王や騎士が用いたライオンの勇敢さではなく、獣性が感じられます。
それに、 ライオンは百獣の王であっても、狩はメスがするんですよね。。
ところで、力強さの象徴として、空の王者・鷲もその象徴です。現在でも、アメリカをはじめさまざまなところで、強さのシンボルになっています。ローマの軍旗も鷲であったと聞きます。
その鷲とライオンの両者を合わせた想像上の生物として、グリフォン(グリフィン)がいます。グリフォンは、グリュプスとも呼ばれ、鷲の頭と前足、羽、ライオンの身体のものと、頭がライオンのものがあります。絵柄を見ると、なんとも愛らしい(想像上の)生き物です。
グリフォンの発祥はメソポタミアらしく、スキタイ、インド、中国と広く世界に拡がったようです。
その象徴は、鷲と獅子の合体なので王家の象徴であり、また、黄金の守り手であったことから知識の象徴であるともされます。知と言えば、ライオン由来のスフィンクスもなぞなぞを出すくらいですから、知に関係していそうですよね。
また、グリフォンは雌馬との間でヒッポグリフ(鷲の上半身と馬の下半身)という子供を作るともいわれます。ライオンが豹属の他の種との間にハーフを作るのと似てますね。。
ところで、ヴェネチア共和国のライオンは翼があります。だから、グリフォンですよね?
「怪獣グリフィン文双耳壺」(イタリア6世紀 東京富士美術館蔵)
ライオンと鷲とグリフォンをみてきましたが、“力”の象徴というのは、人が見て、その生活する地域で“力強く”認識された生物がモデルになるようですね。
身近でなければ認識されないでしょうから、身近は必要です。近くにいないもののイメージは身近なものと置き換えられる。ライオンが豹と混同されたのと同じことです。
そして、“力強い”は、あくまで人の認識。それは、他の動物を捕食することからイメージされているようです。しかも、その動物の実際の行動ではなく、人の皮相的な観察と思い込みによってイメージ化される。それに、その動物への人間のおそれが原因かもしれませんね。
水にちなんでの空想上の動物たち
前から気になってたんですが、なぜどこの国のどこの民族でも空想上の動物を作り上げるんでしょう?
今年巷を賑わせた(流行は以前からとして)『若冲』の作品にも空想上の動物が出てきます。竜みたいなある意味ポピュラーなのは当然として、他にも奇妙なのもいっぱい描かれてますよね?
西洋でもガーゴイルとかいますが、ヒュドラ(同名の生物ではなく、ギリシア神話の)とかメデューサとか、スフィンクスとか…。だいたいトカゲ、ヘビ系(つまり爬虫類)が多いのでしょうか・・。
日本で漫画などで描かれる龍は可愛いのもあるのですが、西洋画で描かれるものは、中世のディティールが細かくないものを除いて、あまり可愛くありません。
日本では、龍はよい存在(たぶん)ですが、西洋では悪い存在、たぶん悪魔の化身でしょう。ドラキュラの語源ともなったワラキアのヴラド・ツェペシュの紋章が「ドラクル」*1であったと聞きます。この竜は恐れられるためのものでしょうか。髑髏と同じですね。
竜のイメージは、「人間に災いする邪悪な存在」で「へび」と同一視されるものとのことですから、キリスト教文化の西洋で悪いのはわかります。
そして、水の神(蛇)のいる日本では、ぜんぜん悪くないのも分かります。だからなのでしょう、日本の龍は可愛いです!! いいこともします(水神なのでしょうから!!)
魚のグッズ 魚の秘密
梅雨ももう開けて、夏になりますね~
そうすると、アッツぃ太陽の日差ですっ!!
5月あたりから秋まで、日傘、雨傘、兼用傘を使うと思うのですが、傘のデザインはなんにしてますか?雨にぬれると柄が浮かび上がる傘があるのですが、どんな模様がいいでしょう?
柄、模様、デザインに使われるのは、季節をイメージして水に関係するもの・・ 魚、クラゲ、貝… 実際には、桜なんかの花模様、猫、ウサギとかの小動物みたいです。
うーん、やっぱり魚の柄のほうがいいような気が… ちなみに、あやっちは魚のデザインのグッズを多数所有しておりますっ!!
ところで、さかな・・
『さかな』 作 あやっち
魚・・ このイメージはキリスト教に関係します。「イエス キリスト 神の子 救い主」のギリシア語の頭文字をとるとギリシア語で「魚」になるそうなんです。そこで、古代ローマで弾圧されていた際、魚のマークをお互いキリスト教徒であることを伝えるための暗号にしていたらしいんです。*1
ペテロは漁師だったそうですが、どこで漁師してたんでしょう?って疑問に思ったら、ガリラヤ湖というところでした。ガリラヤ湖は、イスラエルの北部にある大きな湖とのことです。雨のあまり振らないイスラエルにとっては、大事なところだと聞きます。*2
大ヤコブのアトリビュートがホタテガイなのですが、この人も漁師さん。なぜホタテガイなのでしょう?ガリラヤ湖ではホタテ貝は獲れないでしょうから、やっぱり地中海?
ちなみに、大ヤコブもガリラヤ出身だそうです。
本当は怖い太陽…のお母さん
梅雨に入って、夏の空が恋しいですねぇ。
夏は、夏休みは、水着を着て海にっ、帽子をかぶって山にっ。
あやっちは、紫外線が気になるので、夏はちょっとって思ってますけど、でも、夏の解放感は大好きです。
何年か前、湘南の海で貝殻集めたりしてました。水の流れ込むところがあって、冷たいんですよね!!
ところで、夏と言えば、太陽。太陽と言えば、神っ!!
太陽神は、さまざまな神話で出てきます。祖先を神に持つ(と、うそぶく)王権も民族も、太陽のような明るく力強いほうが自分たちの神にふさわしいと考えますものね。
そこで、アポローン、、言わずと知れたギリシア神話の太陽神*1、オリュンポスの十二神です。ですが、このアポローンのお話ではありません。アポローンの母親、レート―のお話です。
レート―は、ギリシア神話に出てくる女神で、ティターン族のコイオス、ポイベーの娘です。ゼウスとの間にアポローンとアルテミスを産みます。
この際、レートはヘーラーの嫉妬を買って、出産を禁じられます。ですが、ゼウスやポセイドンの助けもあって、無事出産。
アルテミスのほうがお姉さんですね?
お姉さん、多いように感じます。
話は戻って、レート―は性格が悪いです。
レート―親子に水を飲ませなかった村人を蛙にします。乳呑児を抱えたレートの乞いに水一滴も飲ませまいとした村人にも、因果応報的なところもないわけではないのですが、ヘーラーの命もあることから仕方のないところもあって、蛙はちょっとひどくないかって思うんです。
村人は、池の水をかき混ぜて濁すことで飲めなくしたのですが、濁った水に似つかわしいから蛙なのでしょうか? それとも、蛙になにかイメージがあるのでしょうか?
レート―については、この事件が有名ですが、他にも虐殺事件*2を起こしています。これは、ティターン族の風が強いからでしょうか?
ところで、ポセイドーンがレート―を助ける際、ヘーラーの言葉に違反しないようにデロス島*3を波で覆ったとのことらしいですが、ここは気になります。
宣言されたものは守る必要、すなわち、規範化でもされるのでしょうか?
つまり、宣言に反して何かがなされた場合、報復を受ける?
これは、宣言に反しなければ、報復されないことを意味しますから、そういうルールみたいなものですよね?
そして、その報復は、報復するほうの力が弱ければ、ぜんぜん気にならないものでしょうから、違反したほうが『甘んじて受ける』のか、誰かが助けてくれるのか…。
あるいは、言霊、呪いの類と同一なのでしょうか?
ちなみに、アポローンは、『ゼウスの誤謬なき考えを、人間どもに予言しよう』と宣言して、法の思想や秩序と結びついているそうです。
豚のイメージ 食べちゃうの?食べちゃダメなの!?
豚のイメージ
旧約聖書*1で、豚を「汚れた」生き物としていることから、キリスト教でも、それを受け継ぎ、豚に悪い意味を持つと聞きます。
たとえば、『豚に真珠』の語源になったとも思われる記述が新約聖書にあります。どうも、『豚に真珠』の意味は、「価値のわからない者には貴重なものも意味がない」*2ですが、そもそもは、豚に真珠を与えても、食べられないとわかると、吐き出して襲ってくるため、かえって仇をなすということらしく、その「真珠」の意味も「聖なる言葉」らしいです。それは、つまり「真実の言葉」と言い換えられると思いますが、そういう当時として理解しがたいものは、単に教えるとかえって害されるということでしょうか?
この点、ニーチェの「ツァラトゥストラ」にも、はじめ人々に教えを説くのですが、人々に理解されないくだりがありますよね。
ともあれ、「豚へのイメージ」に話を戻すと、マルコによる福音書のイエスが悪魔祓いをし悪霊を豚に追いやった話や、マタイ伝の放蕩息子など、どうも悪いです。
ふつう豚の絵を見ても、実際でもそうですが、顔かたちは可愛いぃ、、のにって思います。アルブレヒト・デューラーの『放蕩息子』の豚は可愛くないですが・・。
そもそもで言えば、豚のイメージが悪いのは、 旧約聖書(前掲)で豚が反芻しない動物だから「汚れた」動物ということらしいです。
もっとも、旧約聖書のこの律法でいう「汚れた」というのは、道徳的な意味で汚れているのではなく、食べていけないものという意味で汚れているそうで、現代でも旧約聖書の律法を厳格に守って暮らすユダヤ人は豚を食べないと聞きます。
そういえば、イスラム教でも、豚は食べませんよね。あやっちの知人のイスラム圏出身者は、自身イスラム教ではないと言いつつ、やっぱり食べないとのことでした。すでに文化的に嫌なのでしょう。
ところで、ドイツ人は豚を食べます。血の混じったソーセージも食べちゃいますよね。
文化的に大丈夫なんでしょうか?
ドイツ語は、Schwein(豚)haben(持つ)で「幸運だ」という意味。すでに、よい意味にもなっちゃってますよね!!
まぁ、イタリア人もスペイン人も豚を食べます。カルボナーラには、パンテェッタ(豚の塩漬け)をいれますよね。スペインのイベリコ豚も有名です。
実は、キリスト教では、豚を食べてもOK。「 外から人の体に入るもので人を汚すことのできるものは何もない」ということで、食物はみな清いとのことです。よかったですね!!
最後に、あやっちは読んでないのですが、「豚の文化史」なる本があるそうです。